nekonyantaro's diary

自分語りなど、よしなごと

実は能登地方の被災地では多くのボランティが早くから活動していたらしい

元日夕刻の能登半島地震では、多大な人的・物的被害が発生しましたが、石川県は報道機関などを通じて「ボランティアの受入は体制が整っていないので当面行わない」と発表していました。一方で地震の発生から1週間程度経った頃から、現地からの情報として実は災害直後から民間のボランティアが各所で活動していたことが伝わってきました。これは一見矛盾するようですが、実はこのとき活動していたのは「組織化され、技量や機材・資材も十分整った団体」で、現地入りも特に県などの地元行政機関と対立して強行的に行われた訳ではなく、良好な協力関係を保ちながら公助を補完する活動を行っていたようです。

阪神大震災から30年近くが経ち、何度かの大きな災害を経て、各地にこのような「プロボランティア集団」とよべるような組織が形成されているようです。もはや大災害で個人がバラバラに救援に入れる余地は限られてきているようです。個人が役に立とうと思えば、金銭面で支援するのが一番のようです。

支援物資についても、近隣をはじめとして全国各自治体の備蓄にくわえ、民間企業などからまとまった単位で送り届けられた物が役立ったようです。個人からの支援物資は、仕分けに多くの労力を要し不要な物も多く、意外と役に立たないどころか現地に負担を掛けかねない、ということも知っておいた方が良さそうです。

「不機嫌」でわがままを通そうとすること

精神が実年齢に追いついていない「子ども染みた幼稚な人」がやりがちなこと。周囲の人を疲弊させ、気付かないうちに孤立してゆく。

(自戒の念を込めて)

参考記事 https://ameblo.jp/couplecare/entry-11594502779.html

生きづらさの正体は?

blog.tinect.jp (Books and Apps)生きづらいのは「資本主義」や「自由主義」のせいなのか。(安達 裕哉)


「生きづらい」の主原因は「お金」や「贅沢」の不足ではなく、「役割」の欠如であるという主張。この主張はよく理解できるが、一方で「役割」に伴う「責任」を恐れ(より正しくは「責任を全うできる自信」が無く、譴責されることを恐れる)「役割から逃避したい」気持ちが生きづらさを作っている、という感じもする。