nekonyantaro's diary

自分語りなど、よしなごと

空気を読むということ

よく「空気を読め」とか「○○は空気の読めない奴だ」といった言葉を耳にする。その一方で「空気を読むことを強制するのはおかしい」とか「空気は吸う物で有って読む物では無い」などという反論もある。

 

空気を読むとは何をさすのか、定義がはっきりしないのが混乱を招いていると感じる。自分なりに考えるところは下記の通り。

 

会話は双方向のコミュニケーションであり、相手が有って初めて成り立つものであるから、「相手が何を考えているか」を推測しながら話をすることが「空気を読む」ということ。これは一歩間違うと「相手に阿(おもね)る」ことになりかねず、「空気を読む」ことに否定的な人たちはこの点を問題にしているようです。

 

「相手が何を考えているか」を推し量ることはまた「自分の言ったことがどう受け取られるか」を想像することにも繋がり、それが有って初めて「自分の意図したことが相手に伝わる」事になるだろう。

 

中には「私は万人に理解可能な客観的な表現だけを使って話しているから相手を選ばずだ」という人もいるようだがこれはかなり暴論と思う。