nekonyantaro's diary

自分語りなど、よしなごと

役に立たない人間は生きていてはいけないのか

「自分は役に立たない人間なので消えてしまいたいと思う事がある。」

これは、鬱病のスクリーニングの質問でよくみかける表現。

ネットで「役に立たない 消えてしまいたい」といれて検索すると、その様な悩みを抱えた者が苦しい心の内を綴ったBlogなどがいくつもみつかる。だが、彼らは本当に自分の意思で「消えてしまいたい」と思っているのだろうか?もちろん、中にはその様な者もいるだろう。その事については機会を改めて述べたいと思う。

今回問題にするのは、「本当は生きたいのだが、周囲からの圧力で生きていることが苦しい」と感じている人たちである。一番判り易いのは、会社で上司や同僚から仕事が出来ないことを責め立てられて苦しんでいる場合。構図としては、雇用関係を伴わない学生を過剰に厳しく指導する教員の場合や、夫や姑から叱責されている嫁など家庭内での場合についても同様なのだが、文章を簡略にするため以下では職場での話を「事例」として扱うので、それらの事例については適宜類推して読み替えていただきたい。

多くの場合、責めている側は、相手がその果たすべき「責務」を果たしていないと感じて叱っているのであろう。たとえ純粋に上司の責任として相手の未熟さを指摘しているつもりであっても、相手に精神的ダメージを与える方法でそれを行うのは立派なパワーハラスメントパワハラ)になる。このような扱いを受けた結果として鬱病を発症する者が後を絶たない。

管理者の中には「甘やかさないことが愛情」だとか「本人が成長することを望んでいるから」などという体の良いことばで「パワハラ」を正当化したり、パワハラであるという自覚すらない者も多い。このような人たちは、「自分もそうやって叱られながら成長した」とか「最近の若者は甘やかされて、叱られることに耐性がなさ過ぎる」などと言って、いかにも傷ついている当人が悪いかのようなことを言う。

それでも産業医の指導などでやむをえず休暇を認めたり、職責を軽減すると顕著に症状は改善し、活き活きと自分の好きなことに打ち込むようになる場合が多い。当たり前のことである。彼らは職場で責められることによるストレスが原因で発症しているのだから。その様な状況を見て、上司のみならず同期や後輩までが、その者に対して「なまけ病」の烙印を押したがる。

ある程度の年限を積み、組織の中核以上の管理的な地位にいる者は別として、仕事が出来ないのは上司が適切にその人に接していないことが原因である。新入社員が社会人としての常識に欠けるのは仕様なのだ。残念ながらいまの学校教育はその点について無力だというのは事実で、これはこれで憂慮すべき事だが、別の問題。現状では就職した時点で一人前のプロであることを期待することが間違っていることに気づくべき。原石を如何に磨いて輝く宝石にするか、それこそが若い部下を受け入れる上司の役割と自覚すべき。繰り返すが仕事が出来ない本当の原因は本人の責任ではなく上司の無自覚や無能である。したがって、「役に立たない」ことを恥じる必要などない。

自営業の場合、相手が上司ではなく顧客になるので、自分が全責任を負うことになる。若者の起業はこのようなリスクもあることを知り、相当熟慮する必要が有ると感じる。個人的には、起業するのは十分社会経験を積んでからの方がよいと思う。

本題については稿を改めて続きを論じたい。