nekonyantaro's diary

自分語りなど、よしなごと

他人を説得することが苦手な人

「なかなか自分の願いが聞き入れて貰えない」という経験が続くと「自分は他人を説得するのが苦手なんだ」と感じてしまいがちでは無いだろうか?たしかに「頼み方」とか「交渉術」とかいったものが相手の「心証」を左右して、結果として相手が自分に好意的に動いてくれる、あるいは逆に頑なに自分の希望を拒否されるということは多々あるだろう。

よくありがちな失敗として、自分が強く望んでいるということを訴えれば相手が応じてくれるだろう、という「魚心あれば水心」的な展開を期待してしまうこと。このような発想に陥ると、自分の立場ばかり押し出すようになって、相手の立場に立って「相手がなぜ拒絶しているのか」を考えることがおろそかになりがち。このあたりは、戦術として相手の言い分を良く聞き、相手が受け容れない理由(多くの場合不安や不信感に基づく)を見つけ出すことで、相手に受け容れて貰える確率は上がるだろう。

だが繰り返し「うまくいかない」場合、それは「戦術的な問題」では無く、もっと根本的な「戦略的」な誤りを犯している可能性を疑うべきかも知れない。はっきり言えば「要求そのものが間違っている」ということで、どのような戦術的な技巧を使っても相手を納得させることは難しい。もちろん状況によっては「洗脳」や「催眠的な方法」とか「脅迫的」な高圧的な手法で相手を従わせることは一時的には可能かも知れない。だがそれは、決して持続的に成果を上げないし、大きな副作用を伴い、反社会的行為と見なされたり時には犯罪となるので厳に慎むべきである。

たとえば、ある新しい事業を始めたくて資金の提供を求める場合、いくら事業の有望性や確固たる採算性の見込みを伝えることに成功しても、「無条件無期限で出せるだけお金を出せ」というのはほとんどの相手が納得しない。「最初に100万円出してくれ、1年後に計算通りの事業展開が出来ていたら追加の資金を頼みたい」といえば、結果は変わるかも知れない。たとえその「計算」の内容が「1年ではまだ利益は出ないから配当は出来ない」という物だとしても、事業展開の見込みが十分に根拠の有る物だという確信を与えられれば、相手が純粋に金銭的な利益だけを期待しているので無い限り「協力してみよう」という気になる可能性は十分ある。先方が純粋に配当だけを期待しているのであれば、元々頼む相手として不適切という事になる。

このような「金銭」に関するケースは具体的なので比較的判りやすく、間違った要求や間違った相手への要請は相手や第三者からの指摘や自分自身の考察で気付く事が多い。一方もっと抽象的な「対人関係」とりわけ「心の内のこと」に関わる物はなかなか厄介で「要求そのものや要求する相手」が間違っているのか、「戦術的な拙さ」なのか見分けにくいことが多い。

繰り返しうまくいかない場合は、根本的な誤りがあるのに、それを「戦術的な物」に矮小化していないか再考してみる必要があるだろう。