nekonyantaro's diary

自分語りなど、よしなごと

「ぼっち」や「ひっきー」が良い仕事をすることが少ない理由

「少ない」と書いたのは、「ある種の仕事」ではものすごく「良い仕事」をする可能性があるから。たとえば世界トップレベルのアスリートや芸術家、あるいは作家など、逸材とよばれる人の中には「ぼっち」の経験者が少なくないらしい。

多くの場合「良い仕事をしない」理由は、特に小さいときから友達の輪に入っていない人は、自分と違う価値観の存在を実感しにくいことだと思う。人は千差万別、同じ事実に対しても好感を持つ人嫌悪感を持つ人と別れる場合もある。もっとやっかいなのはAさんにとっては「不快なこと」がBさんにとっては「許せないこと」で有る様な場合。どちらも否定的な感情ではあるが、その「程度」がかなり違う。こういう「温度差」はいろいろな事象について日常的に存在する。

日頃から社交的で多くの人と接している人はこういう「温度差」の存在に慣れていて、多様な反応があることに戸惑わない。ところが「ぼっち」生活が長い人はそもそもそういう「温度差」の存在自体に気付かず、自分の感覚や特定の人が声に出した事が万人共通と錯覚してしまう。声の大きい人の意見が全体の総意と勘違いするのも同様のこと。

特に「量産品を売る」様な仕事では「特定の人の反応」ではなく「市場全体に広く受け容れられる」ことが大事になる。このとき売れるか売れないかを判断するのには「ぼっち」より「友だちの多い人」が有利になる。

仕事以外の対人関係でも「ぼっち」だった人は「自分を相手の立場に置き換えて考える」ことをしがちで、「自分がされて嬉しいこと」を一生懸命相手に対してやって、相手はちっとも喜ばないという哀しい想いをする。

小さいときから多様な友達とつきあうことは、社会性を必要とされる職業に就く上では重要な資質を身につけることになる。