nekonyantaro's diary

自分語りなど、よしなごと

他人の幸せを願う気持ち

利己主義は自分を利さない

いうまでもないことだが、自分の都合だけを押し通そうとする人は他人から嫌われ、いろいろなことがうまく行かないので、結局自分が損をする。そのため「大人になる」ということには、「自分の欲望を抑えて、他人の欲望の実現に手を貸す」ことを覚え、「互いに助け合う」ことを覚えることが重要になる。

しかしながら、そのことが本人にとって容易に受け入れられる場合と、大きな心理的負荷と成る場合とがある。これは個人の「寛容さ」や「他者配慮感覚」の差による物か?様精査。

他人の幸せを願う気持ちは誰にも備わっているものなのか

前段に書いた「助け合いとしての利己的でない行動」は、見かけ上他人を利する行動であるが、動機は「自分の利益を得るため」であり、「一見遠回りだが、各日に自己の利益が得られる方法ということである。

そのようなものとは全く異質のものとして、自分の損得抜きで「他人が幸せになることそのものが幸せになる」ということを道徳家や宗教家は説いている。筆者の主観では、特にキリスト教にその思想が強い気がする。

この「自分の損得抜きで他人の幸せを願う」気持ちは本当に存在するのだろうか。(職場などで、「周りの人が不満を持っているよりも幸せな方が、雰囲気が安らいで居心地がよい。だから人の幸せに貢献する」というのは、本質的に前者の「自分の利益になるから人の幸せに手を貸す」の方だと思う。)