nekonyantaro's diary

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JR福知山線脱線事故刑事裁判~ 神戸地裁で前社長に無罪判決

朝日新聞宝塚線脱線事故前社長に無罪判決

2005年4月にあった事故について、「事故の危険性が高まったのに、自動列車停止装置(ATS)の整備を部下に指示しなかった」ことで起訴されていたが「急カーブでの事故を予測できた」とした検察側の主張は退けられ無罪の判決となった。法律論として、この論点で起訴せざるを得なかったのかも知れないが、問題の本質は別の所にあったと思う。

当時JR福知山線は阪急との乗客争奪のためにスピードアップを図っており、運転時分に余裕のないダイヤとなっていた。そのため乗降に手間取るなどの理由で列車が遅れる事もしばし有ったと伝え聞いている。経営陣としては「速さ」を売り物に他社から獲得した乗客が「慢性的な遅延」で離れていく事を避けるべく、ダイヤを守ることに躍起になっていたと思われる。特に運転士には高度の運転技能を要求し、それを満たせない者に懲罰的な訓練(日勤教育と呼んでいた)を課していた。この「高度の運転技術」が「過酷なもの」なのか「プロとして当然のもの」であったかの判断は難しい所であるが、現実に遅れが発生していたという事は、「全員にとって容易に実現出来るレベルでなかった」と考えるのが妥当だろう。

国鉄時代、あるいはJR化の直後に東京周辺であった列車の追突事故('72年日暮里、'88年東中野など)では、信号設備が現在ほど高度でなかった為も有り、「信号を守っていてはダイヤが守れない」状態で「見切り発車」が常態化しており、先行列車が予期せぬ理由(といっても日常的にある閉扉時の物挟み)で出発に手間取った際に追突している。30年以上前から「乗務員の技量でダイヤを維持する」方法自体に無理がある事は判っていたはず。具体的な「ATS設置を怠った」という問題ではなく、元々安全性を確保出来ない方法で他社との競争を有利に進めようとした、企業の経営体質そのものに踏み込んだ議論が欲しかったと思う。

福知山線事故」の根源となったものは当時のJR西日本が列車の遅れに対して乗務員を厳しく譴責していた事なのだが、この点は裁判の争点とはなり得なかったのだろうか。